台湾 ひとり旅
僕は今までひとり旅なんてものをしたことがなかった。
なぜかって、それは柄にもなく、
1人なんて喜びやらなんやらを共有できなくてつまんないだろ
そう思っていた。
今年の夏、
台湾に旅行へいく機会があった。
台湾の高雄(タカオ)というローカルなプレイスから
首都・台北(タイペイ)へ移動するというプランになった。
なぜ台湾か
別に僕が選んだ訳じゃない。
僕の所属しているサークルで台湾の大学生との交流会があり、
高雄へいくことになった。
どうせいくなら
と3日目イベント終了後からひとり旅をすることにした。
とはいえ
ひとり旅がしたかった訳ではなく、消去法でそうなった。
今回のイベントには友人が参加しておらず、
(もちろんサークルの友達は参加しているが、ここでいう友人は一緒にいたいと思える友人だ)だったらひとりでいいや という感じで他のみんなより長めに航空券をとった。当然成田から高雄、高雄から成田ではなく、台北から成田になる。
1人で勝手な真似をしたことで、少しは迷惑や心配をかけたと思う。
ありがとうございます。
この記事の構成として、
1、台湾観光
2、旅について
3、その他
の三構成で書きたいと思う。
この旅が有益なものになったのは、家族や友人、学校やその他の人のおかげであることを、忘れないうちに、ここに書き留めることも目的の一つにある。
そして何よりも、誰かの実体験が誰かの行動につながればと思う。僕自身もそうして支えられている。
1、台湾観光
まずはじめに、僕は1人旅と書いたが、実際現地(高雄)の大学での交流イベントにて仲良くなったメガネ君(ここではそう呼ぶ、特に意味はなく、ただメガネをかけていたから)の家に一泊お世話になり、現地生活を体験させてもらった。
二泊三日のイベント終了後、僕は現地大学に残り、友人らは新幹線で台北のホテルへ向かった。寂しさはなかった。台湾の大学生たちと一緒に泊まっていた寮の後片付けをし、それからメガネ君の運転で観光地へ行き、それから実家へ向かった。
台湾の学生は、高雄の大学が駅から離れていることもあるかもしれないが、
原付や車に乗っている人がほとんどである。
しかし、交通ルールはひどいもので、日本とは比べ物にならない。
台湾は日本の占領下であった時代があり、日本はインフラ整備をしたことが歴史に残っているが、流石にこういうルールはいちいち言われないとできないことではないだろうと思った。何を考えてんのか、原付に4人乗っている人もいた。
何はともあれ、メガネ君宅に着き、家へ上がらせていただいた。
僕は客間のようなところに通された。
そこは6畳ほどの空間で、
勉強机が二つと大量の一列に並べられ、天井まで重ねられたダンボール、そして一つのウォーターベッドがあった。この部屋を自由に使っていいとのことだった。
話によると、よく友人が泊まりに来るらしく、ここはその時に使っているらしい。
その日はしゃぶしゃぶに連れて行ってもらったり、
家でフルーツをご馳走になったり、とてもよくしてもらった。
もし僕のうちに外人が泊まりに来ても、
こんなにおもてなしというか、
まず受け入れられるかがわからない。
シャワーを浴びてる時は本当に怖かった。
今全裸で、後ろから襲われて、
肛門に何かを刺されて、、、
知らない土地の知らない人の家で、どうなろうが知ったこっちゃない
という誰かの声が聞こえた。
友人に部屋の様子を撮って送ったところ、ダンボールには中国語で割れ物危険の文字が書かれていたらしく、翌朝生きて目覚めたことに感謝した。
次の日朝起きた時
生きていたことに感謝した。